東京・戸栗美術館で行われている「青のある暮らし」という伊万里焼の展示に行ってきました。
江戸時代に大きく発展した佐賀・有田の窯業。豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に連れられてきた朝鮮人陶工により、日本ではじめて磁器が焼かれたのが佐賀県有田町でした。製品が伊万里港から出荷されたことから伊万里焼とも呼ばれます。多彩な技法や色絵が有名で、ドイツのマイセンなどにも影響を与えたといわれます。現在の有田は作家、メーカー、商社などが乱立し、豪華絢爛な器も多く民藝的な精神をもった窯はほとんどなくなってしまいました。かつて有田ではどのような磁器がつくられていたのか?美しい藍色を探しに行ってきました。
1610〜1640年代までは素焼きをせずに釉薬を掛ける「生掛け焼成」が有田でつくられる磁器の基本でした。磁器産業が未発展の状態であり素焼きによる安定がないため、絵付けが非常に素朴で勢いもありました。1700年代に入るとその奔放さは徐々に失われ、中国・景徳鎮窯の影響で薄くてシャープな形に変化し、金銀絵の具の使用などもあって豪奢な印象になっていきます。
一方で民衆の間に磁器が広がっていき、今でもよく見る網目文様や蛸唐草などのお皿が無名の職人によりたくさん生産されました。有田の器は屋台の料理屋などでも使用され、器の広がりに伴って網目文様や蛸唐草も広く知られるようになりました。網は色々なものを獲得する道具であることから吉祥の文様として好まれました。八本の足をもつ蛸は末広がりとも結びつき、縁起が良いものとされてきました。器を通じて、日本人が生活に密着したいろいろなものに意味を見出し、文様にし、祈りを込めていたことを感じられます。現代では失われてしまった想像力なのかもしれません。
器を展示するだけではなく、有田の窯業が発展していく様子や磁器の製造工程、江戸時代の街の様子なども説明されており、とても分かりやすかったです。民藝というと陶器に目がいきがちですが、江戸時代の人々が心を奪われた染付について知ることで世界も広がっていくような気がします。
古伊万里をベースとした素朴でシンプルな絵付けのうつわをつくり続ける有田・大日窯の蕎麦猪口。展示されていた江戸時代の器の中に同じような格子の蕎麦猪口を見つけて嬉しくなりました。
戸栗美術館の展示は9月22日まで行われています。